ギャル式綴方教育

S U P E R G A L

ぼくのぐだぐだじゅけんせんそう(パクリ)

 

院試も終わったので久々に自分語りをしようと思う。ちなみにこれはパクリ企画なので元ネタも読みましょう。非常に面白いです。→ https://lesamantsdutokyo.hatenablog.com/entry/2022/01/10/205633

・小学生時代

小学生時代からボンクラだった私は勉強の価値が全く分からず、授業中に勝手に抜け出したり授業をボイコットしたりしていた。テストも白紙で出したり適当なことを書いて出すなど典型的な問題児で、この時点で小学生時代から真面目に勉強して中受などしている層とは差が生まれているのだが当時の私はそんなことも知らずクラブチームとスポ少を兼ねてほぼ週7でサッカーをしていた。小4くらいまでは後にJリーグ下部組織や高校サッカー強豪校に進んでゆくチームメンバーの中でも結構うまい方で飛び級で試合に出たりその時点で中学生と練習したりしていた(ガチのマジでトップクラスのやつは小3とかの時点で完成されていてそれも驚きだった)。陰りが見え始めたのは小5のあたりで、スポ少の陰湿な人間関係が合わなかったりクラブチームの監督の過激な要求に答えられなくなって練習に行けなくなり、県大会ではそれまでレギュラークラスだった年上のチームのメンバーを外され、大きな挫折となった。小6は比較的頑張ったがその時点でナショナルトレセンに行くようなトップクラスの面々とは差が開いてしまっていた。気づけばサッカーの話になってしまったが、私にとってサッカーは人生において重要なことなので中学生以降もその話をすることになるだろう。

・中学生時代

中一になってから高校を意識しはじめ、姉が優秀だったこともあり私は県下トップの高校に行くのだとなんとなく思っていた。実際入学してテストを受けてみればド田舎の学年40人くらいの規模では勉強しなくとも常に1位か2位だった。サッカーに関していえば私は地元のサッカー部のない中学に進学して小学生の頃から通っていたクラブチームに行くか少し離れた場所にあるマンモス校のサッカー部でサッカーをするかの2択だった(ちなみに小学生の時点でサッカーを辞めようとしたのだが親からサッカーを辞めるなら今後支援しない、みたいなことを言われサッカーをするしか無くなった)。迷った末結局私は前者を選んだのだが、そこでは1年の最初から3年生の試合に出たり、2年生のチームのレギュラーになるなど小学生時代の輝きを取り戻しつつあった。しかし1年の10月からイジメが始まった。クラブチームでの活動は上手くいっていたが学校生活が辛くなり夜21時までサッカー→朝まで寝ずにアニメを見る→学校で寝るという最悪の循環にハマってしまい成績もみるみる落ちていった。

中2の春に私は不登校になった。中2のはじめになって「あ、これ無理だわ」となり学校に行くのをやめた。勉強の方は学校に行かなくなってからどうしていいか分からず、中2のはじめのテストでは18点の科目もあった。どうにか学年末には中庸くらいの点数に持ち直したが、かつての県下トップの高校に行けるくらいの学力はなくなっていた。サッカーは学校に行かなくなったと同時に休み、2.3回くらい復帰しては休む、というのを繰り返した。

そんなこんなで独学を始めた訳だが、中3になって明確に手応えを感じる瞬間があった。全てが自分で理解出来るようになり、学校に行く必要がなくなった。学校に行けないのではなく、その必要がなくなった。かつての40人中1.2位くらいの成績を取り戻した。そのため独学が自分に向いていると判断し目指していた高校進学もやめることにして、独学で大学に行くことを決めた。その時親や担任には中卒か通信制かどっちかにする、ということを言ったのだが、理解を得られず、強制的に高校受験をさせられることになった。出願したのは県下トップの公立高校と一応私立ではトップの高校(公立と比べてだいぶ劣る)の特別進学コースを受けた。内申が1しかない中でどうせ受かる高校なんてないだろうとたかを括っていたら私立には受かってしまい、進学することになった。しかし私は最初から行く気がなかったため、入学して即中退しようと考えていた。

・高校時代(という名のニート期間)

高校に進学し、入学式には一応出たのだがやはり高校に通う気はなく、入学式だけでてその後は不登校、1ヶ月経たずに高校を中退した。その後は通信制に転校して事実上のニート期間に入ることとなる。

通信制に入り生活が落ち着いてきたころ、大学進学に際してどこを目指すかという話を親とした。(ちなみに通信制の教員との面談で大学に行きたいです、と言ったら鼻で笑われた)

好きなことをすればいいんじゃない、とのことで、絵を描くのが好きだった私は美大を目指すことにした。画塾にも通い始めた。私立は学費が高いため一般大学を受験することになった。その際滑り止めの一般大学をどうするか考えて、どうせなら1番偏差値が高いところ、ということで早稲田を滑り止めにしようと考えた。こんな具合で進路について考えてはいたが別になんの勉強をするでもなく1年目は事実上ニートの期間を満喫した。このころからひたすら面白そうな漫画を漁るのにハマってしまい3ヶ月で8万円分の漫画を買うなど狂った生活をしていた。

2年から勉強をはじめ、私立の文系3科目英語、国語、社会と数学を中心に勉強した。この時は筑波大学芸術専門学群が第一志望だった。私立の文系3科目に関してはこの1年間で仕上がり、1年後の早稲田入試は余裕、くらいの感じでいた。

勉強は順調だったが、実技に関しては迷走を極めまくり、最終的に京都市立芸術大学という激ムズの大学を受けることにした。この時の心情としては「まあ落ちても早稲田あるしな〜」くらいの感覚だった。そのおかげでいま美大コンプです。センターは5か6科目くらいで73%くらいがボーダーだったので対して対策もせずセンター試験当日も休み時間は寝っ転がって漫画を読んでいた。結局センターは8割くらい取りセンターは余裕だったのだが実技がなかなか追いつかず結局美大には落ち、早稲田は2学部受かって早稲田に進学することにした。ちなみに一応大阪芸術大学も受けて受かっていたので無理してでも進学すれば良かったかな〜と思わないでもない。

・大学時代

そんなこんなで早稲田大学の文化構想学部に進学した私だが、今までろくに本など読んでおらず漫画とアニメに青春を費やしていたため大学に入ったのを機に本を読むことにした。ちょうどコロナでオンライン授業になったタイミングだったため1日1冊本を読み、文学に傾倒して行った。なかでも特に村上龍トルストイは衝撃で、大学1年の時点で両者の小説はほとんど読んだ。ちなみにこのころはイラストレーターか漫画家になるつもりで、8年間大学に居続けてその期間内にデビューしようとか考えていた。当時は大学院に行くなどという考えは微塵もなかった。

そんなこんなで2年間オンラインで授業を受け、いよいよ3年生から上京することになった。上京に際して8年間引きこもりをしてたので社会性を身につけようと思い入ったのが哲学批評研究会。最初に行った新歓発表で発表していたのが今も仲良い先輩である。そこで飛び入りでフランス語勉強会に入れてもらったり、読書会に参加したりして友達が出来て行った。そしてそこでは大学院を目指している人が多く、私の進路にぼんやりと大学院が浮かび始めた。

今の研究対象であるポール・ド・マンに出会ったのも3年生の時である。上京してすぐの夏に卒論の研究計画書提出があり、作品研究するのも面倒臭いし理論やるか〜と思って当時読んだことも無いド・マンを研究することにした。計画書を1行で出して指導教員に呆れられたのをよく覚えている。

3年、4年をダラダラとすごし4年生の冬に卒論を2週間で書き上げた。3万字弱。卒論の評価はかなり良く、デリダ研究の大家にべた褒めされたのは素直に嬉しかった(ド・マンをよく分かってない説もあるが)。半年留年して大学を卒業し、なぜか私は東大の学士編入を目指すことにした。当時は研究なんかしたくないし、学部もう1回やりて〜みたいなノリで受けたのだが、あえなく一次試験落ち。このころは自分が何をしたいか全然分からず、ひたすらアニメを見ることしか出来なかった。

・大学卒業後〜院進学

翌年は大学院を一応受けることにして、どうせ落ちるだろうし障害者年金も受給してるし適当にやり過ごそうと思って生活していた。アポも取らず適当にアニメ研究で書いた研究計画書で受けた学習院は試験はよくできたものの面接で「そんなことはできない(意訳)」と言われ落ちた。一方で一橋の春季はこれまでやってきたド・マンで受けようと思い研究計画書を書いて先輩がやっている発表会にも出席した。アニメばかり見てこんなに勉強してない自分が一橋に受かるわけない、と思いダメもとで出願した。1次に受かり、2次の面接だったのだが落ちる前提だったので前の日も遅くまで飲みに行っていた。面接当日になり、開始の2分前に到着し、面接に臨んだ。最初にド・マンの英語を訳す語学試験があり、その後質疑応答という感じだった。全く緊張していなかったからか自然に受け答えをすることが出来、受かったかもな、と思った。合格発表当日、13時を待機して発表を見ると本当に受かっていた。何かの間違いではないかと思った。合格通知書が来るまで信用出来ないと思っていたが合格通知書も届き、本当に受かっているらしかった。そんなこんなで1年のニート期間を経て一橋大学大学院に進学することになった。正直全然勉強してないのでやって行けるかは不安だが、どうにかゆるゆるやっていこうと思う。

ぼくのぐだぐだじゅけんせんそう(パクリ)

 

院試も終わったので久々に自分語りをしようと思う。ちなみにこれはパクリ企画なので元ネタも読みましょう。非常に面白いです。→ https://lesamantsdutokyo.hatenablog.com/entry/2022/01/10/205633

・小学生時代

小学生時代からボンクラだった私は勉強の価値が全く分からず、授業中に勝手に抜け出したり授業をボイコットしたりしていた。テストも白紙で出したり適当なことを書いて出すなど典型的な問題児で、この時点で小学生時代から真面目に勉強して中受などしている層とは差が生まれているのだが当時の私はそんなことも知らずクラブチームとスポ少を兼ねてほぼ週7でサッカーをしていた。小4くらいまでは後にJリーグ下部組織や高校サッカー強豪校に進んでゆくチームメンバーの中でも結構うまい方で飛び級で試合に出たりその時点で中学生と練習したりしていた(ガチのマジでトップクラスのやつは小3とかの時点で完成されていてそれも驚きだった)。陰りが見え始めたのは小5のあたりで、スポ少の陰湿な人間関係が合わなかったりクラブチームの監督の過激な要求に答えられなくなって練習に行けなくなり、県大会ではそれまでレギュラークラスだった年上のチームのメンバーを外され、大きな挫折となった。小6は比較的頑張ったがその時点でナショナルトレセンに行くようなトップクラスの面々とは差が開いてしまっていた。気づけばサッカーの話になってしまったが、私にとってサッカーは人生において重要なことなので中学生以降もその話をすることになるだろう。

・中学生時代

中一になってから高校を意識しはじめ、姉が優秀だったこともあり私は県下トップの高校に行くのだとなんとなく思っていた。実際入学してテストを受けてみればド田舎の学年40人くらいの規模では勉強しなくとも常に1位か2位だった。サッカーに関していえば私は地元のサッカー部のない中学に進学して小学生の頃から通っていたクラブチームに行くか少し離れた場所にあるマンモス校のサッカー部でサッカーをするかの2択だった(ちなみに小学生の時点でサッカーを辞めようとしたのだが親からサッカーを辞めるなら今後支援しない、みたいなことを言われサッカーをするしか無くなった)。迷った末結局私は前者を選んだのだが、そこでは1年の最初から3年生の試合に出たり、2年生のチームのレギュラーになるなど小学生時代の輝きを取り戻しつつあった。しかし1年の10月からイジメが始まった。クラブチームでの活動は上手くいっていたが学校生活が辛くなり夜21時までサッカー→朝まで寝ずにアニメを見る→学校で寝るという最悪の循環にハマってしまい成績もみるみる落ちていった。

中2の春に私は不登校になった。中2のはじめになって「あ、これ無理だわ」となり学校に行くのをやめた。勉強の方は学校に行かなくなってからどうしていいか分からず、中2のはじめのテストでは18点の科目もあった。どうにか学年末には中庸くらいの点数に持ち直したが、かつての県下トップの高校に行けるくらいの学力はなくなっていた。サッカーは学校に行かなくなったと同時に休み、2.3回くらい復帰しては休む、というのを繰り返した。

そんなこんなで独学を始めた訳だが、中3になって明確に手応えを感じる瞬間があった。全てが自分で理解出来るようになり、学校に行く必要がなくなった。学校に行けないのではなく、その必要がなくなった。かつての40人中1.2位くらいの成績を取り戻した。そのため独学が自分に向いていると判断し目指していた高校進学もやめることにして、独学で大学に行くことを決めた。その時親や担任には中卒か通信制かどっちかにする、ということを言ったのだが、理解を得られず、強制的に高校受験をさせられることになった。出願したのは県下トップの公立高校と一応私立ではトップの高校(公立と比べてだいぶ劣る)の特別進学コースを受けた。内申が1しかない中でどうせ受かる高校なんてないだろうとたかを括っていたら私立には受かってしまい、進学することになった。しかし私は最初から行く気がなかったため、入学して即中退しようと考えていた。

・高校時代(という名のニート期間)

高校に進学し、入学式には一応出たのだがやはり高校に通う気はなく、入学式だけでてその後は不登校、1ヶ月経たずに高校を中退した。その後は通信制に転校して事実上のニート期間に入ることとなる。

通信制に入り生活が落ち着いてきたころ、大学進学に際してどこを目指すかという話を親とした。(ちなみに通信制の教員との面談で大学に行きたいです、と言ったら鼻で笑われた)

好きなことをすればいいんじゃない、とのことで、絵を描くのが好きだった私は美大を目指すことにした。画塾にも通い始めた。私立は学費が高いため一般大学を受験することになった。その際滑り止めの一般大学をどうするか考えて、どうせなら1番偏差値が高いところ、ということで早稲田を滑り止めにしようと考えた。こんな具合で進路について考えてはいたが別になんの勉強をするでもなく1年目は事実上ニートの期間を満喫した。このころからひたすら面白そうな漫画を漁るのにハマってしまい3ヶ月で8万円分の漫画を買うなど狂った生活をしていた。

2年から勉強をはじめ、私立の文系3科目英語、国語、社会と数学を中心に勉強した。この時は筑波大学芸術専門学群が第一志望だった。私立の文系3科目に関してはこの1年間で仕上がり、1年後の早稲田入試は余裕、くらいの感じでいた。

勉強は順調だったが、実技に関しては迷走を極めまくり、最終的に京都市立芸術大学という激ムズの大学を受けることにした。この時の心情としては「まあ落ちても早稲田あるしな〜」くらいの感覚だった。そのおかげでいま美大コンプです。センターは5か6科目くらいで73%くらいがボーダーだったので対して対策もせずセンター試験当日も休み時間は寝っ転がって漫画を読んでいた。結局センターは8割くらい取りセンターは余裕だったのだが実技がなかなか追いつかず結局美大には落ち、早稲田は2学部受かって早稲田に進学することにした。ちなみに一応大阪芸術大学も受けて受かっていたので無理してでも進学すれば良かったかな〜と思わないでもない。

・大学時代

そんなこんなで早稲田大学の文化構想学部に進学した私だが、今までろくに本など読んでおらず漫画とアニメに青春を費やしていたため大学に入ったのを機に本を読むことにした。ちょうどコロナでオンライン授業になったタイミングだったため1日1冊本を読み、文学に傾倒して行った。なかでも特に村上龍トルストイは衝撃で、大学1年の時点で両者の小説はほとんど読んだ。ちなみにこのころはイラストレーターか漫画家になるつもりで、8年間大学に居続けてその期間内にデビューしようとか考えていた。当時は大学院に行くなどという考えは微塵もなかった。

そんなこんなで2年間オンラインで授業を受け、いよいよ3年生から上京することになった。上京に際して8年間引きこもりをしてたので社会性を身につけようと思い入ったのが哲学批評研究会。最初に行った新歓発表で発表していたのが今も仲良い先輩である。そこで飛び入りでフランス語勉強会に入れてもらったり、読書会に参加したりして友達が出来て行った。そしてそこでは大学院を目指している人が多く、私の進路にぼんやりと大学院が浮かび始めた。

今の研究対象であるポール・ド・マンに出会ったのも3年生の時である。上京してすぐの夏に卒論の研究計画書提出があり、作品研究するのも面倒臭いし理論やるか〜と思って当時読んだことも無いド・マンを研究することにした。計画書を1行で出して指導教員に呆れられたのをよく覚えている。

3年、4年をダラダラとすごし4年生の冬に卒論を2週間で書き上げた。3万字弱。卒論の評価はかなり良く、デリダ研究の大家にべた褒めされたのは素直に嬉しかった(ド・マンをよく分かってない説もあるが)。半年留年して大学を卒業し、なぜか私は東大の学士編入を目指すことにした。当時は研究なんかしたくないし、学部もう1回やりて〜みたいなノリで受けたのだが、あえなく一次試験落ち。このころは自分が何をしたいか全然分からず、ひたすらアニメを見ることしか出来なかった。

・大学卒業後〜院進学

翌年は大学院を一応受けることにして、どうせ落ちるだろうし障害者年金も受給してるし適当にやり過ごそうと思って生活していた。アポも取らず適当にアニメ研究で書いた研究計画書で受けた学習院は試験はよくできたものの面接で「そんなことはできない(意訳)」と言われ落ちた。一方で一橋の春季はこれまでやってきたド・マンで受けようと思い研究計画書を書いて先輩がやっている発表会にも出席した。アニメばかり見てこんなに勉強してない自分が一橋に受かるわけない、と思いダメもとで出願した。1次に受かり、2次の面接だったのだが落ちる前提だったので前の日も遅くまで飲みに行っていた。面接当日になり、開始の2分前に到着し、面接に臨んだ。最初にド・マンの英語を訳す語学試験があり、その後質疑応答という感じだった。全く緊張していなかったからか自然に受け答えをすることが出来、受かったかもな、と思った。合格発表当日、13時を待機して発表を見ると本当に受かっていた。何かの間違いではないかと思った。合格通知書が来るまで信用出来ないと思っていたが合格通知書も届き、本当に受かっているらしかった。そんなこんなで1年のニート期間を経て一橋大学大学院に進学することになった。正直全然勉強してないのでやって行けるかは不安だが、どうにかゆるゆるやっていこうと思う。

1年前に書いた記事が発掘つかれた(言ったよ!きいちゃんについて)

イパー近況報告(1)

 

  世界で1番面白いラジオ(私調べ)こと『キャン丁目キャン番地』が終了して1週間あまりが経ち、世界で1番アツい雑誌こと『Comic LO』が今週発売の8月号を境に隔月出版になるらしい。もう終わりだよこの惑星、とでも言いたくなるほどに好きなコンテンツが特にこれといった音も立てずに去っていったり去りつつあったりしている。流石にこの現状にはこの私も世の不条理を感じざるを得ない。特に『キャン丁目キャン番地』に関しては長年聞いており、というか、長年私たちは寄り添ってきました、とでも言った方が良いくらいに私の生活に浸透していた。外を歩きながらこの番組を聞く瞬間ほど幸せな時はなかったし、受験前日などは移動はもちろん寝る時もこの番組を聞いているほど私の生活の一部になっていた。唐突な終わりも去ることながらアーカイブの配信が来年2月までなのは流石に頭抱えたね。私の今後の生活はどうなるんですか、と6月の曇天に向けて叫びたくなりますよ。まぁ私がどれほど『キャン丁目』を好きかについて語ったところで書いてる側も読む側も虚無になる以外ないのでもうしません。アニラジについてはまた別のとこで書くかもしれませんが。

  そんなわけで自分の中の2大コンテンツが去っていったり徐々に遠くなったりする2023年6月、非常に暑く、かと言って梅雨なので天候も悪く、マスクを外して外を歩けばちゃんと世界の空気は悪く、4年なのに1年の必修(1限)に出ねばならず、卒論の目処は一切立たず、それどころか目先の期末レポートのやる気すら出ない状況である。ちなみに原稿も進んでいません。たすけてー!と、叫ぶかアニメ・キャラクターさんへの愛をTwitterで日々綴る以外にやれることが今の私にはない。それに欧州サッカーもオフシーズンだし。マンC、CL優勝おめでとうございます。あとは移籍市場とかバロンドール誰とかの話になるのかもしれませんが、私は正直バロンドールそんな好きじゃないです。ただの人気投票だあんなもんは。帰れ。

  あとはアニメを見るか音楽を聴くくらいだろうか。アニメ・キャラクターさんはいつどんな状態であろうと眩いきらめきを放っておりかつ私を引き離さずにいてくれるし、すきな音楽(私はラップを中心に聞いています)は心地よいグルーヴとともにスっと耳に入ってきて私の身体の中で微振動を繰り返している。この微振動のおかげでようやく動こうって気になれるので有難いことです。はい。

  あとは新谷良子さんのスペースのアーカイブ(全2回)はここ数ヶ月で死ぬほど聞いている。やはりあの声のリラックス効果は半端ではない。基本的に寝られない時には毎日のように聞いているし、あとは体調が悪い時や落ち着きたい時などにも。まぁだいたい漢方とかヨガみたいなもんです。時間ある時でいいのでまたして頂けると非常にこちらの生活が潤うので、是非よろしくお願いします。

  本当に何も書くことがないが、あとはマンガアニメの話を少しだけ。

先日、ふと思い出して『言ったよきいちゃん!』を読み返した。この作品は私が5年ほど前に非常に好んでいた四コママンガで、個人的には世界一面白い四コママンガだと思っている(そもそも四コママンガ苦手であまり読まないのですが)。

この作品は「堅床商事(株)」に中途入社してきた話を聞かないOL、「きいちゃん」とその同期の「和田さん」、そして上司の「飯野さん」を中心としたギャグなのだが、一コマにボケツッコミの往復を必ず入れ込んだ四コママンガというなかなか特異的な四コママンガである。基本的な内容はきいちゃんの変な行動に周りが振り回され続けるというものだが、ツッコミで全てを綺麗に回収することできいちゃんのギャグを際立たせる飯野さんときいちゃんよりはよっぽど一般的だが時にきいちゃんより突飛な行動をとって全体の情報量を増やす和田さんとの関係性のバランスが非常に巧みで、かつそれによって特異な行動を取り続けるきいちゃんに対して読者が愛らしさを見いだせるようになっている。

こうして書くとすごく一般的なことをしているように感じてしまうけど、これほど巧みなことをマンガで、更に四コマでやってのけるのはなかなか出来ないことである。そして、これは非常に重要なことだが、変な効果音を沢山使っているのが良い。基本的に変な効果音を沢山使うマンガはいいマンガなんです(当社比)。

まぁそんなこんなで5年たった今読んでもちゃんと世界で1番面白い四コママンガでした。または私の感性が成長していないかの、どちらかです。

発掘された昔描いていたあだしまの二次創作の断片

 1

 

 気づけばカーテンの隙間から白い光が漏れている。枕もとの目覚まし時計の針は五時十五分を指し示していた。真夏だからだろう、朝方でもベッドのマットレスと接している背中は汗ばんでいる。寝不足で重い体を起こして、エアコンのリモコンを手に取り、冷房のスイッチを押す。心地よい風がたちまち部屋を満たして、身体の中までも涼しい空気に満たされたような気分になる。大きなため息をついて、もう一度ベッドに転がり込んだ。

「………………」

 夜通ししまむらのことを考えていた。わたしはいつもしまむらのことを考えているけれど、しまむらのことを考えすぎて寝られないことは、よほど特別なことがない限り稀だった。

 なぜこんなことになったのか、その原因は容易に把握された。夏休みに入ったからだ。ただ通っていさえすれば自然にしまむらと接点が持てた学校という場がなくなり、わたしはそのことに強い不安を覚えている。だからしまむらのことを考えては不安になり、眠れなくなるのだ。もちろん不安だけではない。しまむらと夏休みにしたいことをリストにして綿密に計画するほどには、わたしはこの夏休みをしまむらと一緒に過ごすことを楽しみにしている。しかし、どうしても不安が残るのは疑いようのない事実だった。わたしが積極的に動かない限り、しまむらと接点を持つことができないという事実は、想像以上にわたしの心に重くのしかかっていた。進級してすぐしまむらが新しい友達を作った時、しまむらを振り向かせたあのような勇気をわたしはこれから何度も出さなくてはならない。勇気を出さなければ、しまむらと会うことはできない。もちろんしまむら側から誘ってくるということは否定できないし、それ以上に嬉しいことはないけれど、しまむらの性格からして、しまむらの方から誘ってくる可能性は限りなく低かった。

 手のひらを眺める。開いた指の間からは明け方の白い光が少し流れ込んでくる。しまむらと出会ってもうすぐ一年が経つ。この手のひらは、幾度となくしまむらの、わたしのそれよりも少し小ぶりな手を包んできた。……緊張しすぎて強く握ってしまいしまむらに痛がられたことが何度もあるから、「包む」という表現は適切ではないかもしれないけれど。

 今もこの手のひらにしまむらの体温を思い出すことができる。しまむらの手、しまむらの体温、繋いだ手を少し持ち上げてえへへ、と少しだけ頬を緩めるようにして笑うしまむらの顔、その周りで小さく揺れるしまむらの柔らかな髪……。わたしが見てきたしまむらを今も明瞭に思い出せることに安堵を覚える。だからと言って、私の抱えている不安が解消されるわけでは全くなく、わたしにはやはりしまむらの存在を実感する、ということが必要なのだった。しまむらの存在を肌で感じ続けたい。これがわたしの願いだ。カーテンから漏れる少ない光だけが中空を舞う薄暗い部屋の中でしまむらへの思いを飛ばす。わたしにはしまむらさえいればいい。他にはなにもいらない。

できればしまむらの方でもわたしの存在を肌で感じ続けてくれて、それを望んでくれるまでになるといいなぁ、なんて思ったり……。

目を開けると薄暗い天井があった。まどろみから目覚める。……いつの間に寝てしまっていたらしい。冷房の冷たい空気が全身を覆っていて、身震いする。手足が氷のように冷たくなっていた。喉にもすこし違和感がある。急いで冷房を切る。カーテンを開くと明け方の優しい白い光はいつの間にか目を刺すようなオレンジ色になっていた。……目覚まし時計を見ると、もう夕方の四時になっている。どうやら寝過ぎたらしい。幸いにして今日はバイトもないので、別に寝過ぎたところで何の問題もないのだけど、なにか少し罪悪感というか、もったいない気もする。

 ふいにハッとして、急いで枕もとで充電されている携帯を手に取る。もしかしたらしまむらから何か連絡がきているかもしれない。そんな考えが頭をよぎったからだ。可能性は低いけれど、仮にしまむらから何かのお誘いがあって、わたしがそれを寝過ごしてスルー……なんてことがあったら、後悔してもし切れない。

携帯に電源を入れる。鼓動が少しだけ早まる。

パスワードを入力して、携帯を開く。通知を確認する。通知はなにひとつきていなかった。それはつまり、わたしが寝ている間に誰からも、もといしまむらからの連絡はなかったということだ。少し安堵のため息をついた後、すぐに大きな落胆の波がやってきて、肩を落とす。しまむらからはなんの連絡も来ていない。やはりわたしからしまむらに連絡をとるしか術はないのか。今さらな気もするが、どうもしまむらと私の間にかかる橋はわたしからの一方通行でしかないように感じることがある。しまむらは面倒見がいいけれど優しくはないから、わたしに応答してくれることはあるけれど、しまむらの側から自発的に何かを与えてくれることはあまり多くない。でもわたしもしまむらに甘えているだけじゃ意味がないから、今この状況をわたしの側から変えていく必要がある。この夏はわたしとしまむらの間にある距離を少しでも縮めて、しまむらとわたしの間の交通が増えるように努力しよう、そう決意した。ただ私がしまむらに応答してもらうだけの交流が増えるだけでは駄目なのだ。もっと交通をしなければ。

わたしはしまむらを求め続けるだけでは満足しなくなっているみたいだ。わたしはしまむらから求められたい、そう思い始めている。あれ?……顔がみるみる熱くなっていることに気が付く。頭を横に激しく振って、ようやく現実に戻れた。

廊下に出ると、熱気がもわぁっとわたしの身体を包んだ。いつもならこの空気を不快に感じるかもしれないけれど、冷房で過度に冷やされた身体には少しだけ心地よく感じられた。

家中は暗く、全体的に少し埃っぽい。わたしの両親が家にいないことが多く、わたしも普段は学校やバイトで家を空けているから、あまり家が使われていないのと、掃除が行き届いていないことに起因するのだろう。そう考えると、わたしと両親の希薄な関係を、この家全体の空気が象徴しているようで、自嘲にも似た笑いが漏れる。だからと言って、今さらわたしが掃除に気合を入れ始めたからといって、わたしと両親の間に築き上げられた関係に長年降り積もった埃が取り除かれるわけではないことは容易にわかる。わたしは別に家族との関係を今さら気にするほど子供ではないのだけど、最近しまむらの家に頻繁にいくようになってから、しまむらしまむらの家族の良好な関係を目の当たりにしていると、たまに小学生の時のわたしが記憶の片隅から顔を出してくる。

『なんでわたしはこの家に生まれたんだろう』

 そんな不可能な後悔にも似た言葉を、小学生の頃のわたしは頭の中で何度もリピートしていた。

身の周りの不要なものを徹底的に切り捨てることで、わたしはこの疑問から解放された。小学生のわたしが真っ先に切り捨てたのは、人間関係だった。わたしはわたしの人生をわざわざ他の人と足並み揃えて生きてゆく必要がないと感じたからだ。そうすることで、私はみる必要のないものを、持つ必要のない疑問を持つことがなくなった。友達や家族、そのような人との関わりや、それよって生じる様々なもの——それが喜びだろうと悲しみだろうと——は私には必要なかった。別にそれらを断固として拒絶しているつもりはなかったけれど、わたしには必要ない、という理由だけで作り上げられたわたしの孤独は、時として氷のような冷気を発していたのかもしれない。

だからこそ、しまむらと出会って、周囲の空気が一気に溶けるように熱を帯びていくのを感じたあの瞬間を、わたしは忘れることができない。

家の玄関を開けると、廊下の熱気よりもさらに熱い熱気がわたしを襲った。自転車の鍵を開け、乗りこみ、ペダルを漕ぐ。十メートルほど進んだところで汗が滲む。親はいつものごとく帰りが遅いし、当然のように食材が家に置いてあるわけではないので、自然に外で食べてくるか、買ってきて家で食べるかの二択になる。自転車を走らせながら、今日は適当にコンビニで買ってこようと決めた。田舎はコンビニへ行くのだって自転車が必要だ。

 途切れることなく前方から迫ってくる熱気とともに夕陽に照らされた町の景色が後方へと流れてゆく。オレンジ色の空にはいつの間にか淡い紫色が混じり始めていた。

しまむらは今なにをしているだろう。

わたしは今しまむらのことを考えている。しまむらはわたしのことを考えてくれているだろうか。しまむらのことを意識し始めた頃はただしまむらのことを考えるだけで精一杯だった。しかし最近は、日を追うごとに、報われたいという気持ちが大きくなってゆくのを感じている。

報われたいと思うのは、傲慢だろうか。しかしわたしがしまむらと向き合っている限りは、わたしがわたしとしてしまむらを欲している限りは、そう思うのが自然であるような気がする。わたしはなにもしまむらになりたいわけではない。わたしはわたしというひとりの人間として、しまむらというわたしではない別の存在のことを思っているのだ。だから、わたしはしまむらと向き合っている。わたしは絶対にしまむらから目を離さない。だから、しまむらもわたしから目を離さないでほしい。

オレンジ色と紫色が絡み合う空を見上げて、しまむらを思う。よく「空は繋がってる」、なんていうけれど、空が繋がっていても、わたしたちの見えている世界は繋がっていない。当然、わたしとしまむらの見えている世界は違うのだ。でも、だからこそ。見えているものがお互い違うからこそ、わたしはしまむらに惹かれる。わたしはしまむらに、このわたしの見る世界の中にずっといてほしいと思う。わたしが正面からしまむらの目を見つめる。その時、しまむらの視界には、しまむらの見る世界にはなにがうつっているだろう。

わたしはしまむらにもっとわたしのことを見てほしい。しまむらにわたしの存在をもっと感じてほしいと思う。

だってわたしは。

わたしは。

しまむらのことが。

「す、す……す、す……!」

……ひゅうひゅうと喉が鳴るだけで、後が続かなかった。

言葉にならないしまむらへの思いが、夏の夕空に吸い込まれてゆく。

空に向かって手を伸ばす。太陽が今にも掴めそうなほど大きかった。

しまむらは太陽よりも力強く、美しい光を放っている。

しまむらにもっと触れたい。しまむらにもっと触れられたい。手が届きそうで届かない太陽を眺めながら、そう強く思った。

 

 

夏の夜の時間の流れはもったりとしている。扇風機の風を全身に浴びながら、大の字に寝転がって天井を眺める。気温のせいか、身体全体がどろりと溶けていくような感覚で、動くことができずついだらけてしまう。ついでにまぶたも重くなる。

わたしのいる二階の物置部屋はエアコンがなくて、この夏の気温では扇風機の風だけでは少し物足りないけど、こうして夏の夜に涼みながら横になってぼーっとするのは嫌いじゃない。そもそも一人で静かになりたくてわたしはわざわざこの物置部屋にいるのだ。伸びをして寝返りを打つ。下の階では妹とヤシロが騒いでいるらしく、笑い声とぺたぺたという足音が際限なく聞こえる。今日の二人は朝から晩までうちで遊んでいた。その元気はいったいどこからやってくるのだろう。わたしは朝から晩までこうしてぼけーっとしているというのに。子供は元気だな、と思う。そしてわたしにも当然子供時代があった。わたしにもあんな過去があったはずだ。樽見や他の友達と朝から晩まで遊んでいたような過去が。そうなるとわたしがただ変わってしまっただけということか。抗い難い時間の流れというものを感じ、小さなため息をつく。でも、こういう風にもったりとした時間を心静かに地よく過ごせるようになったというのは成長なのかもしれない。これが大人になるということだろうか。……ただだらけているだけ、という声が聞こえてきそうだが、成長した、ということにしておく。

この物置部屋には小さな窓がひとつあって、千切れた綿のような雲が流れる藍色の夜空を四角く切り取っている。今日は三日月が出ている。藍色の夜空にできた小さな裂け目のようなその輝きが、周囲の空をぼんやりと照らしている。

大きなあくびをする。

涙で夜空に浮かぶ月が滲む。そろそろ寝ようかな。高校生が寝るには早すぎる時間だけど。こんな暑い夏の夜となっては勉強もやる気が起きない。まぁ、いいだろう。夏休みは始まったばかりだし。夏休みの宿題はのちの自分に任せることにして寝ることにしよう、と自分を納得させる。

わたしは普段妹と一階のわたし達姉妹共用の部屋で寝ている。最近はヤシロがうちに泊まるので、ヤシロ妹と三人で寝ることも多い。その部屋に向かおうと起き上がる。

その時、ちょうど携帯から通知音がなった。この時間にわたしにメールを送ってくる人間といえば、一人しかいない。手元の携帯を開いて、通知を見る。やはり安達からだった。

『今から電話してもいいですか』

内容はこれだけだった。いつも思うのだが、わざわざ確認を取らなくてもいきなりかけてくればいいのに。でもこの可笑しさがどこか安達らしくて、いつもこのことを言いそびれてしまう。

「いいですよ、と」

送信した瞬間、安達から着信がかかってきた。いつものことながら、携帯の前で正座で待機しているのではないかというほどに反応が早い。

「もしもし」

『あ、し、しまむら?もしもし』

「うん、どうしたの?」

『え、えと、いや、しまむらの声が聞きたいな、と思って』

 こんな時間にわたしの声が聞きたいとは。安達もなかなかに物好きだ。そして、反応に困る。声を聞きたいからと言われて、わたしはどう反応するのが正解なのだろう。

「そうなんだ。じゃあもう目的は達成されたってこと?」

 咄嗟にうまい答えが見つからず、やや突き放すようなことを言ってしまった。ここからうまく話題を広げられる自信がない。

『あ。いや、そうなんだけど、そうじゃなくて、あの……』

 安達が何か言いかけて飲み込む。少し無言の時間が流れる。

『し、しまむらは元気にしてた?』

 まるで数年ぶりに連絡を撮った友人にかけるような言葉を安達が言う。元気にしてたも何も、数日前まで同じクラスで毎日会っていたと言うのに。

「うん。元気にしてたよ。っていっても夏休み始まってまだ数日しかったってないけど」

 わたしがへへ、と笑いながら言うと安達がうぅ、と返事なのかなんなのかわからないような声を漏らす。安達が電話の向こうで顔を赤くしているのが容易に想像された。

『………………』

「………………」

 安達と電話するときにお互いが無言になることはよくあることなので、あまり気にしない。こういう時はわたしから話を切り出すことはあまりない。安達が話を切り出すのを気長に待つ。それは今日の安達が何か言いたげだったということもあるけれど。

『あ、あのさ』

 安達が少し大きな声を出して話を切り出す。遊びに行こうとか、なにかそういうことだろうか、と予想する。

しまむらは、わたしのこと、見えてる?』

「え?……えぇ?」

 予想外のことを聞かれて困惑してしまった。しかも質問の意味がわからない。今は電話越しだし、見えてる?と聞かれても見えてません、という他ない。

「え、えぇっと、それはどういう……」

『あ、や、やっぱいい。忘れて』

 安達がやや早口で言った後に電話を切る。何だったのだろう。

安達がこういう意味不明な行動を起こすのはよくあることで、今更考えても仕方ないのかもしれないけれど、安達の話ぶりからして、安達にとってはとても重要な問いだったのかもしれない。

 うーんと唸って考える。しかし、いくら考えても安達の質問の意図は掴めなかった。

「まぁ、いっか」

 こういう時は考えても仕方がない。今度安達と会ったときに直接聞いてみるしかない。伸びをすると自然とあくびが出た。……寝よう。

 一階に降りて、わたしと妹の部屋の前を通り過ぎる。ドアが開けっぱなしになっている部屋の中では妹とヤシロがゲームをしていた。二人を横目に洗面所へと向かう。

歯を磨いてから化粧水をぱたぱたとつける。その間にもまぶたは重くなる一方だ。

ふと鏡を見る。鏡の中のわたしと目が合う。わたしがわたしを見ている。毎日日焼け止めを塗っているのに、少し顔が日焼けして、その影響か、肌が荒れている。そして、最近髪を切りに行くのを怠っていたので相当髪が伸びていることに気づく。あれ、と思う。毎日わたしはわたしの顔を見ているはずなのに、なぜかいろんなことが今ようやく意識に上がってきたように認識される。

しまむらは、わたしのこと、見えてる?』

 ……ふと、安達の言葉が思い出された。結局安達が何を言いたいのかはよくわからなかったけれど、そもそもわたしがわたし自身のことをよく見えているのかどうか、わからなくなった。

 

 

 ベッドの上で悶える。しまむらと出会ってから何度わたしは同じような過ちを犯せば済むのだろう。またわけのわからないことを言ってしまむらを困らせてしまった。わたしはしまむらにわたしの中の何を伝えればいいのだろう。もっとしまむらに積極的にならなくては、という気持ちともっとしまむらにわたしのことを見てほしい、という気持ちがごちゃ混ぜになって、よくわからないことを言ってしまった。

 

 

 

 

 

【考察】ギャラクシーエンジェル(アニメ)で誰が1番スケベなのか【謎】

【考察】ギャラクシーエンジェル(アニメ)で誰が1番スケベなのか【謎】

 

ギャラクシーエンジェル(アニメ)のエンジェル隊員の中で誰が1番スケベなのか......。ギャラクシーエンジェルを見た事がある人なら必ずは抱いたことがあるであろう問題ですが、この問題について考察してみたいと思います。

ちなみに、このでの「誰が1番スケベなのか」は視聴者が「蘭花さんスケベだな〜」と言うのとは別で、彼女たちの中で誰が性的経験において成熟しているのか、という意味です。誰が1番エッチかは各自で決めてください。

年齢上から行きます。私的にランク付けをして誰が1番スケベか決めます。

 

・フォルテさん

おそらく多くの人がいちばん最初に思いつくであろう、エンジェル隊の最年長、フォルテさん。彼女はエンジェル隊でも唯一20歳を超えているし、そのバインバインな身体を誰もほっとかねえだろ、という発想ですが、実際フォルテさんはいわゆるゲットー育ちで、かつての仲間(男)と反乱軍の指揮役として対峙するシーンもあり、色々経験しててもおかしくないと言えます。しかし、逆を言えば、彼女はおそらく士官学校を経ておらず、ウォルコット中佐に拾われるような形で軍人になっていると思われるため、色恋に現を抜かすような暇さえなかった可能性もあります。あと、このような経緯から本人が全くその手のことに興味が無い可能性が高いです。むしろ士官学校育ちだったらハイパースケベ確定だったかも知れません。悲しい。というわけでおそらく経験なし、とみてランクC。

 

蘭花さん

フォルテさんに次ぐ年長者かつバインバイン、色仕掛け担当な上、常に二言目には「男、男」と言っている蘭花さんが処女なんてこと有り得るか?そう思うかもしれません。しかし蘭花さんは描写される限りでは全くその手のことに運がなく、常に失敗しています(だからこそ「オトコオトコ」言っている可能性がある)。そこから蘭花さん処女説が浮かび上がってきます。

といいつつも、いくとこまでいってる説にももちろん根拠はあり、作中で蘭花さんは何度か婚約までいっており、エンジェル隊によって婚約破棄せざるを得なくなる目に合わされています。蘭花さん特有の早とちりでその場で出会った男性と0日婚している可能性もありますが、婚約までいく描写があるのはなかなかいくとこまでいってる説も説得力が増してくるのではないでしょうか。しかしまあ見れば見るほど蘭花さんってウブだな〜と思うのでいくとこまでいってる説が6割くらいの印象は拭えません。ランクB。ちなみに蘭花さんが「婚前交渉はナシよ〜‼️」とか言ってたらなかなかウケますよね。または、婚約者とセックスがしたいのに言い出せずあれやこれややるけど結局処女のまま、みたいなこともありそうですね(というかアニメでそういう回があっても不思議じゃない)。

 

ミルフィー

どこまでもマジなのかそうじゃないのかわからない女、ミルフィーユ。1期はまだ純粋ドジっ娘でカタがつくのですが、2期、3期、と期を追うごとにミルフィーの奥底に何が潜んでいるのかわからなくなる印象です。実はこいつ、あの笑顔の裏で、俺らが見てない所で男を食い散らかしてるんじゃねえか......?ギャラクシーエンジェルを見続けているとそんな疑念が湧いてきます。ミルフィーは軍人になる前は士官学校卒でウエイトレスをしていましたが、あの笑顔に何人の人が篭絡されたのでしょうか。さぞスケベ看板娘だったろうと思います。上述の通りミルフィー士官学校卒ですし、学校に潜入して女学生をやった回(4期)でもミルフィーユはかなり男子にモテそうな感じでしたし学生時代または過去に経験がある確率はかなり高いです。または現在......なんてことも有り得なくはないですが、そんな幸せのニオイを纏ったミルフィーの異変を感じ取ったら最後フォルテ蘭花ミントの畜生三人衆(かわいい)は黙ってないでしょう。彼女たちは味方の幸せの芽を潰すのが好き、というか単純に他人の幸せを許せないタチなので。と、いうことで、エンジェル隊で幸せそうですしまあ現在彼氏持ちの心配(?)はなさそうです。しかし雑談の中でふと「彼氏ですかあ?いたことありますよ〜○○くんに、○○くん......」なんて言い出しかねないのがミルフィーユ・桜葉。まあそんな話になったらフォルテさん蘭花さんミントさんの顎が外れるくらいビックリされることはたやすく想像できるでしょう。ランクA。

 

・ミントさん

16歳で身長123センチのペタペタ娘がスケベだって?そう笑われてしまうかもしれません。しかしこう見えてミントさんはエンジェル隊屈指のあざとい要員。幾度かある水着回でもちゃっかりスク水なんて着ちゃってます。完全に自分の強みをわかっており、それを駆使して男を篭絡する様は想像にかたくないのではないでしょうか。3期序盤ではエンジェル隊解散後にアイドルをやっていますし、「ツチノコ原人」の回でも一世を風靡するタレントになったりもしています。また、4期終盤でミントさんのファンの集いのようなものが開かれ、大勢のファン達はミントさんの下僕のように扱われています。また、ミントさんは名家出身の超お金持ちです。これらの描写を見るに、ミントさんは自分の需要を理解して行動できる上に、カリスマ性も伴っていることがわかります。そのため、男なんていくらでもたやすく手に入ることはわかるのですが、一つ難点としては、ミントさんに釣り合う男がいるのか、という点です。死ぬほどモテ散らかしているであろうミントさん(確定している情報から類推すればエンジェル隊の中でも圧倒的だと思われます)ですが、ミントさんはそれらの男を無碍に扱って取り合わないのではないか。そして、年長組や士官学校卒17歳のミルフィーたちとくらべてもまだまだピチピチもピチピチの16歳ですので、まだ選り好みや色恋以外のことに夢中でそういった経験はしておらず、色恋における成長過程にあるのではないかと思われます。しかし、やはりあざと可愛いカリスマお嬢様ミントさんですので、色恋やその他様々を経験するのは時間の問題かと思われます。したがってランクA-。

 

・ヴァニラさん

エンジェル隊の最終兵器ことヴァニラさんです。最年少13歳かつ電波系美少女ということで、この手の考察は難しいかと思われますが、それが意外や意外、ヴァニラさんも侮れません。まず第1に、ノーマッドの心を射止めた、という事実があります。ノーマッドのヴァニラさんへの執着心は異常なまでで、かつそれが恋愛感情を伴っている、というか恋愛感情そのものとイコールになっていることはあらゆる描写、「伴侶は私」発言からも明らかです。つまり、ノーマッドはハチャメチャなエンジェル隊の中から比較的無害なヴァニラさんを消去法でえらんだ、というわけではないわけです。あるいは、そのような始まりだったとしてもそれがあそこまでの執着へつながったということは、ヴァニラさんにそのような魅力が伴っていることの証左ではないでしょうか(ノーマッドがヴァニラさんに抱かれるぬいぐるみ以上のものになれない悲哀には心底共感します。ぬいぐるみであるノーマッドには陰茎がないのに常にヴァニラさんと共にありあの発展途上の胸の感触を感じているのですから)。

  また、ヴァニラさんにはほかのエンジェル隊員たちとくらべて母性がある、というのは特筆すべき点です。3期7話「激辛お子さまランチ」では幼児化したエンジェル隊員を比較的幼児化が抑えられているヴァニラさんがお世話していますし、3期24話「星の子ソーセージ」では未来人のココモやマリブがヴァニラさんが自分たちの(未来の)母なのではないかと勘違いして追っかけるも思わせぶりなのかよく分からない態度をとりつつ実際には間違っている彼らをやんわり(?)あしらっています。これらの点から見ても、最年少でありながらヴァニラさん=母親的な何かを感じさせる要素がところどころ存在しています。このふんわりした母性に惹き付けられる男はそれなりにいるのではないでしょうか。

そしてヴァニラさんのこの愛があるのかないのかわからない所にノーマッドや私たち視聴者はやきもきするわけですが、不思議ちゃんの言葉では片付けられないこのちらりと見え隠れする愛が彼女ノ最大の魅力といっても良いのかもしれません。また、3期19話では「恋文かき揚げ」で恋文を貰っているし(ノーマッドが過去に遡行してノーマッド自身の手紙ということにするオチですがタイムパラドックス的に最初に手紙を出した男がいるのは確定だと思われます)、また少し上でも触れましたが4期10話「ラブ米」でも男子学生から好意を向けられている描写があります。そういった面から考えてもヴァニラさんは齢13歳にして意外にもエンジェル隊員モテ度指数的にはかなり上位にくい込んでくるではないでしょうか。ただヴァニラさんにその気があるのかないのかは文字通り神のみぞ知るといったところで今のところなにか起きそうな感じはあまりしません。ヴァニラさ〜ん、「愛してる」って言ってくださいよ〜。というわけでランクB。

 

・ex.ノーマッド

愛してる。結婚しよう、ノーマッド。殿堂入り。

 

エンジェル隊員のスケベ度について考えてきましたが、ランク表をまとめると次のようになります。

 

殿堂入り ノーマッド

ランクA ミルフィーユ・桜葉

ランクA- ミント・ブラマンシュ

ランクB蘭花・フランボワーズ ヴァニラ・H

ランクC フォルテ・シュトーレン

 

ヴァニラさんやミントさんに関しては年齢が枷になってランクが下がっている傾向があります。また、年長組に関しては逆に年齢を重ねているからこそ答え合わせがしやすいという側面もあると思われます。

ただまあ上述の「恋文かき揚げ」で全員がウブウブなのは判明してるんですけどね。逆にミルフィーユの???みたいな反応はウブすぎるからではなく経験しまくってて瑣末なことだと思ってる可能性が高いです。恐ろしい娘、ミルフィーユ・桜葉

太眉で関西弁でデカパイとは何の謂いか

 今からもう6年ほど前になるが、ゆるキャンというアニメの第1期が放送されていて、当時のオタクの例に漏れず「きららアニメ」の看板に釣られて(当時はきららフォワード連載だった)私も視聴することにした。これまでの日常系にあまりない写実的な背景やキャンプ描写に気圧されながらぼーっとみていたら、太眉で関西弁でデカパイでcv豊崎愛生のキャラクターが出てきて、おもわず「エロすぎだろ...」と呟いてしまった。私はこれを「犬山あおいの衝撃」と呼んでいる。

犬山あおいが衝撃的だったのは、ただ太眉で関西弁でデカパイでcv豊崎愛生であったから、というわけではない。あまりにも「日常系」または「きらら」の枠をはみ出した下品さ。衝撃以外の何物でもなかった。こんなのアリ!?この犬山あおいの前代未聞の下品さに惹かれたことは言うまでもない。

ところで、往々にして萌えアニメーションというのは性的な目線を経なければ成立しない、言うなれば「シコってる」わけだが、日常系アニメにおいてその「シコってる」性がいかに表出するか、というのは少し複雑な話になる。日常系はある外延を確定してその内部(日常)を描くことで日常系足りうるが、その外延をどう描くか、ということと「シコってる」性というのは重なるからだ。日常系の始祖とも言っていいあずまんが大王においてはメインキャラクターたちをひたすら性的な目線で見る木村というトチ狂った教師の存在がことさら際立っているが、いわばこの木村の存在が大阪さんとセックスしたいとか、神楽さんと結婚を前提としたお付き合いしたいとか考えているような視聴者(私です)の暗示であると言える。あずまんが大王ほど直接的かつ原始的()な表出の仕方はその後全くと言っていいほど出てこない(どころか今やってもおそらく叩かれるだけだろう)が、結局のところどんな日常系においてもその日常の外部の示唆とさらに超越的な視聴者=私たちの存在の示唆が含まれている。

ゆるキャンに戻ると、このアニメ、それまでにはあまり見られなかったほどに背景やキャンプ描写に力を入れていて、写実的なのは勿論のこと実際の現実の中にアニメキャラクターの日常がポンと置かれているような特殊な感覚を覚える。それでも彼女達の日常が日常たりえているのは彼女達の外部に関して中途半端にではなく徹底的にリアリズムを貫くことで、逆説的に彼女たちの日常が守られているのだと思われる。

  また脇道に逸れるが、萌えアニメーションにおいてリアリズムや自然主義というのは厄介なもので、某都アニメーションに代表される萌アニメーションにおける自然主義リアリズムの伝統は、これが単なるお茶目なアイロニーに収まれば良いのだが、それを本気で貫いてしまうと、すなわち、キャラクター描写から何から何まで自然主義リアリズムを貫いてしまうと、視聴者は性的な話題にブチギレる自意識過剰な思春期の少年みたいな意味のわからない意識の高さをただ見せつけられるだけになってしまう。萌えキャラクターを描くことの「シコってる」性というのは当然ここでも関係してくるわけで、萌えキャラクターを描いておきながら「いや、私シコってませんよ」みたいな謎アピールをされてもこちらはただ困惑するしかない。この写実性や自然主義リアリズムを上手く調整できている例は少ないが、こと日常系においてはあまり問題になることはない(というか、日常系とは何か、というのが共通認識として暗黙のうちに守られているのだと思う)

で、犬山あおいだが、一見すると、犬山あおいの下品なエロスをを語るさいにそのキャラクター造形に触れるだけで十分なように思われる。太眉で関西弁でデカパイでcv豊崎愛生、すぐに嘘をつく(「クリスマスは彼氏と過ごす など」)、スーパーでレジ打ちのバイトをしている......勿論これだけで十分エロいのだが、やはり犬山あおいが1つの衝撃たる所以は、ゆるキャンというアニメに存在するから、だろう。写実的な自然描写の中で明らかに自然には存在しない美少女達が現実のおっさんがやっているようなキャンプをやっている。この中であってこそ、犬山あおいの下品なエロスが最も輝く。ガワは萌えキャラクターで、かつ文字通りの日常系の渦中にいる彼女だが、すぐ嘘をつくしスーパーでパートのおばさんに混じってバイトをしているし、服を脱げばダサめのブラをつけていてかつブラ紐が乳の重みに負けて引っ張られている(この描写は決定的だと思う)し、2期で1人だけ主婦みたいな私服を着ている。しかしこの犬山あおいの下品なエロスは彼女達の日常を破壊しないどころか強化している。この犬山あおいの下品さが現実とアニメーションにおける日常の境界線になっている。美しいなでしこたちの日常は犬山あおいのデカパイによって守られている。

犬山あおいの下品エロスによって守られる日常が存在する。また同時に、それによって歓喜される劣情も存在する。両者は交わることは無い。しかしながら、この日常と劣情はどちらが欠けてもならない。日常と劣情は相補関係にある。

私は、声豚では、ありません。episode.0

 

〜とある法廷にて〜

検察官が、俯き加減のオタクに問う。

「お前は声豚か?」

「違います……

「じゃあ何故お前はそんなに毎日何時間も気持ち悪い笑みを浮かべながら声優ラジオを聞き、声優のSNSを眺めているんだ?」

「好きだからです……

「声優が好きなんだろ?じゃあ声豚じゃあないか」

「違います……違うんです……僕は……

「一体何が違うというんだ!」

「僕は……声優ラジオのオタクなんですッッッッッ!!!!!!」

 

そもそも声豚とは、なんだ?声優のどこを好きなら声豚になるのだろう。声優はその名のごとく声で商売をしている訳だが、その声優の声のみを仮に「推した」場合、その声のみを推しているオタクは声豚なのか。仮にアイドルなどを例に取った場合、そのアイドルの部位を、部分を切り取る形で「推す」ということはなかなかないように思われる。しかしそれでも「声豚」という言葉が存在するのは、声優が声のみで商売をしているとは限らないからだ。近年その傾向が特に著しいが、声優——声で演じることを生業とする——その人自体をひとつのコンテンツにするというような傾向が存在しているために、元々声というある種の部位を使って仕事をする声優を「推す」ということが可能になり、声豚が発生したのだと考えられる。そのようなコンテンツ化された声優その人のオタクは声豚と呼ばれる。そしてその声優はアニメのキャラクターに声をあて、キャラクターを演じた「声優」として、あるアニメの内部にある1コンテンツとしての「アニラジ」つまり声優のラジオが生まれた。そして現在アニメやゲームなど声優が演じることを前提としたコンテンツ内部のコンテンツとしてのアニラジだけでなく、声優その人がパーソナリティ——つまり、その人自身——として出演するラジオが存在し、そのようなラジオも「アニラジ」と呼ばれる。

  先に触れた声優のコンテンツ化とは、そのほとんどが何がしかのコンテンツ、つまり声優がキャラクターに声をあてることに紐付けられている。要するに2次元のキャラクターを通して、——通してという言い方はあまり適切ではない、やはり紐付けられている、というのが正しい——「中の人」を見、同一視するにせよ分離して見るにせよ、ある種のキャラクターとの紐付けの中で生まれている。

多くがキャラクターを出発点として声優その人を結果的に推すことになるだろう。しかしある2次元コンテンツを出発点としたことは紛れもない事実であり、そこから出発したオタクは割と正統に、「声優のオタク」であると言える気がする。なぜなら声をあてている俳優さんを好きになったのだから、それは声優のオタク以外のなんであろうか。

問題は、先に触れたアニラジである。声優のコンテンツ化が過激化している近年はコンテンツ内部のコンテンツとして以上に声優その人自身が自らの名で番組を持つことが多くなっている。そしてその供給は当然先程の「声優のオタク」の需要に向けられている。それを聞く多くのリスナーは当然そのような「コンテンツ化された声優さん」が話すのを聞きに来ている。そこでは「ラジオパーソナリティとしての声優」が生まれるわけだが、「コンテンツ化された声優」という現象の前には意味をなさないように思われる。なぜならコンテンツ化された声優が演技と関係なく話すということに全く問題がなく、それを前提として成立しているため全く問題にならないからだ。

すこし話が変わるが、そのようにして「アイドル声優」なるものが生まれたのだと思う。先に触れた2次元コンテンツに紐付けされた上でのコンテンツ化を経て、声優であり独立したアイドルであるというようなコンテンツ化の仕方、それがアイドル声優であり、その「アイドル」の側面においては実際は2次元コンテンツとの紐付けが多いが、アイドル声優という権利上、紐付けがなくても問題がないようになっている。つまり、このアイドル声優という言葉は、そんなに「声優その人」にフォーカスするんなら、もういっそのこと声優にアイドルつけちゃえ、的なことで生じたのだと思われるが、その内実はその人自身のコンテンツ化が先立ちながら2次元のキャラクターに声をあてる、というある種の逆転現象を生み出している。尤も、最終的にはアイドル声優はそのほとんどがアイドル業と声優業を紐付けることで声優のコンテンツ化の最たるものとして君臨するに至る訳だが。

  話をアニラジに戻そう。パーソナリティとしての声優は大部分のリスナーからは「声優のコンテンツ化」を前提としているために、2次元コンテンツの紐付けにより生じたコンテンツ化された声優を「推」しているオタクがその声優の話を聞くために聞くものが現在の大部分の「アニラジ」である。実際、アニラジを聞いてみれば、そのほとんどが相当に「ユル」く、特に笑いを誘うものでも無ければ、特にこれといって内容があるわけでもなく得られるものもない。おそらくこの「ユル」さがある種のコードとして働いており、それがコンテンツ化された声優それ自体とそのコードを前提として聞くものとして、言ってしまえばラジオそのものとしては自律しないものとしてのアニラジという存在を規定しているように思われるのだ。

しかし、そこにあまり事情を知らずに迷い込む人も多くはないがいるだろう。あまり事情を知らなくても、仮に声優には疎いがアニメが好きな人が、偶然好きなアニメの声優のラジオを聞きそのアニメに出演していた声優だと分かれば紐付けによってコンテンツ化された声優と結びつけもできよう。しかしそうでなかった場合、おそらく大半の人は「なにこれ?」と思って直ぐに聴くのを辞めてしまうだろうが、それにハマってしまう物好きも多くはないが存在する。この世で最も悲しいモンスター、「声優ラジオオタク」の誕生である。声優ラジオオタクは、声優のコンテンツ化には興味が無いが、声優ラジオを好む、という謎の存在であり、その番組の「パーソナリティ」のことを「推す」可能性がある。その場合、このオタクは一体なんなのか。おそらくコンテンツ化された声優の話を聞きに来ているリスナーとも何か違うような感覚を味わうだろう。この人(たち)が出演するアニメにもこの人(たち)の声にも別に対して興味はない。しかしこの人(たち)の話が、この人(たち)の話している空間が好きなのだ。そして何よりラジオのパーソナリティとしてのこの人(たち)が。そもそもパーソナリティとしてのこの人(たち)以外に興味が湧かない。というかそもそも声優の名を知っていようと、その声優がラジオで話しているのを聞かない限り、つまりその声優がパーソナリティにならない限り、その声優に対してなんの関心も湧かなければなんの判断もできない。声優ラジオオタクにっとては全てがラジオありきなのだ。

ここまで来てしまえばもう声優のコンテンツ化等とは全く別の問題になってしまう。そのようなアイデンティティを微妙〜に損なっている「声優ラジオオタク」たちは一体自分たちをどう形容すればいいのか。もう「私は声優ラジオオタクです」以外に言い様がない、と感じてしまうに違いない。

  という感じで、現在私自身は問答無用で声豚なのだが、先に触れた場合とは少々異なるものの元を辿れば似たような感じで声優ラジオオタクであり、そこから徐々にただの声豚になって行った身としてはずっと声優ラジオそのものに対する特別な感情を持ち続けていた。そしてそのような自らは単なる声豚であるという認識と声優ラジオオタクであるというような両儀的な認識をどうにもできず違和感を押し殺す形ではあるが一応の留保として後者の「声優ラジオオタク」を自称していたが、その生活もなんか終わりそうなので、どうにかこの声優ラジオオタクという違和感のある、ある種アイデンティティを欠く存在について素描してみたく思い、書いてみた。

水を打ったように静まり返った場内で、ついに裁判官が口を開く。

「ふ〜ん、どっちにしろキモいから死刑で」

〜閉廷〜